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疑問 [雑感]

JR西日本電車脱線事故。

報道を見ていて、気になっていたことがある。
なぜ運転暦たった11ヶ月で、その間に3度も訓戒処分を受けた運転士が、過密ダイヤの難しい地点、難しい時間の運転を行っていたのか?JRの運転士の采配方針などは到底知る由もないが、私の感覚では運転にも技術というものがあり、それが未熟だと思えれば秒単位でダイヤを管理しないと破綻してしまうようなクリティカルな場面には登用したくないと思う。

問題の路線の本数は15年前から比べて激増している。ライバルである阪急電車の本数の増加具合がゆるやかであるのに比べて、驚異的な伸び率だ。もちろん、ライバルに追いつけ追い越せ、そのための本数増加であることは間違いない。
しかし急成長というのは同時に無理も生む。
同じように多数の乗客が乗り降りする阪急宝塚駅とJR宝塚駅。阪急宝塚駅は2階建ての立派な駅舎だがJR宝塚駅は昔ながらのこじんまりとした姿だ。このあたりにもJRが急いで本数を増やした様子がみてとれる。

なぜ件の運転士がそのような難しいところを受け持っていたのか? 単純に、そうしないと回らない体勢だったのではないかと推察してみる。あくまで勝手な推察ではあるが。電車の本数を増やすことを検討し、それによる輸送可能な乗客数を割り出し、収益の増加を算出し....そんなことをしているとき、乗客は彼らにとって単なる数字でしか捉えられなくなっていたのではなかったか。運転士の数を勘定しているとき、運転士達もまた、単なる数字でしかなかったのではないか。
彼らとは一体誰なのか。それはわからない。

そして、これはJR西日本だけに限った話ではないと思う。交通機関を持った企業だけではない。いや、企業だけに限らない。どんな団体にも言えることではないのではないだろうか。
不特定多数の利用者を想定した何かを行っているとき、とくにその企業や団体が急成長している段階では、利用者達が数字でしかなくなるという事態は、いとも簡単に起こることなのではないだろうか。

現在マスコミでは、問題の運転士が経験した"日勤教育”の非道性にスポットがあたっている。ここにも、社員を"ルールを適用する対象"としか見ていない姿勢を垣間見てしまうのは私だけではないだろう。

人を人と思わなくなるのは簡単なこと。
そんなことがこの事故を引き起こしたとは言わない。そこまで単純な話ではないはずだ。しかし、人を人と思わないでいると、いつかまた誰かが悲しむことになるだろう。それが恐ろしい。

今回の事故は間違いなく人災である。しかし、その"人"って誰なのだろうか?


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