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2005.6.8 ホースシューベンド-アンテロープキャニオン-ザイオン国立公園 [雑感]

というわけで早朝起床。ホテルの無料パンを持って車にのり、車中で朝食。
寄り道場所はホースシューベンド。車を降りてから延々とだらだらとした傾斜を下る。行き着いたところは崖。覗き込むと、丁度馬蹄形の渓谷だった。谷底にはコロラド川が流れる。早起きに値する眺めだ。

午前中にアンテロープキャニオンに着く。国立公園ではなく、ナバホ族の管理している場所だ。見渡す限り何もない荒野にキャニオン入り口の小屋が一つあるだけ。もしやアンテロープキャニオンはかなり遠いのか...?

恐竜の足跡を見たりここで鉄砲水で死んだ旅行者の話を聞いたりしながらアンテロープキャニオン入り口に向かう。

ここが入り口ですよ、と示されたのは地面の割れ目。アンテロープキャニオンは、地中にあったのだ。何もないように見えたのはそのせい。これまでの事前調査ではそんなことどこにも書いてなかったのでびっくり。
こちらも水に削られた砂岩。多様な曲線を描く岩々が割れ目から差し込む日光で赤~ピンク~オレンジのグラデーションに染まり、とても幻想的で不思議な気分になる。狭い岩の間をすり抜けたりさらに下ったり、冒険心も刺激してくれとても面白いところだった。

次の観光地はザイオン国立公園。今までの岩や崖中心の観光地とは違い、緑の木々や川の流れも楽しめるところ。なぜかとにかくものすごく落ち着く。巨大な岩山が見える芝生で昼食をとる。すばらしいピクニックだ。川沿いの遊歩道、リバーサイドウォークと雪解け水のしずくで岩山が泣いているように見える、ウィーピングロックを楽しむ。リスや鹿にも遭遇。川は雪解け水で濁流なのだが、それでも妙に落ち着くのだ。自分でも訳がわからないほど居心地がいい。地面からなにか成分でも出ているのだろうか。何百回ときているノブさんも「俺ここに来るとここに住んでもいいって思うんだよ」と語る。

ザイオンは2泊3日プチ・グランドサークル周遊の最後の目的地。ベガスへ帰るのがとてもつまらない。車の中では疲れてずっと眠っていた。

ベガスではホテルのFood coatにあるマクドナルドで適当に夕飯を済ませる。こうちゃんはスロットで少々勝った。その後ホテルにあるブリュワリーを少し覗き、地ビールを購入。なかなかおいしい。

2005.6.9 サンフランシスコ


2005.6.7 グランドキャニオン-リトルコロラド-フォレストガンプ・ポイント-モニュメントバレー-レイクパウエル [雑感]

またも早朝起床。グランドキャニオンに朝日を見に行く。
日の出を見たのは、グランドビューポイントというところ。大勢のツアーだとマーサポイントで日の出を見ることが多いらしく、グランドビューポイントにはほとんど人がいない。そういうことも考慮して場所を選んでくれるノブさんなのだった。日が出てくると谷がぼんやり見えてきて、谷に沢山の色が見えてくる。

日が出きったらすぐもう一つのポイント、リパンポイントへ移動。朝日が谷を染めるさまはこちらのほうが美しいのだそう。ここもまた私たち以外誰もいない。目の前に大きな空間があり、強烈なオレンジ色の崖がそれを囲んでいる。朝夕の谷の面白さは、昼間のグランドキャニオンに対する印象を忘れさせるほど。

途中の寄り道はリトル・コロラド。小さなグランドキャニオンみたいなところだが、十分でかく谷は深い。ものすごい強風にさらされながら観光。

ナバホ情緒あふれるキャメロンで朝食。冷え切っていたので、ホットチョコレートがおいしい。

地層と侵食の様子が良くわかる砂岩地帯で少し休憩。シルストーンというのだそう。

午前中にモニュメントバレーに着くが、「その前に寄り道しましょうねー」と、素通り。「名づけてフォレストガンプ・ポイント!」とのノブさんの説明を聞きつつ車を降りると、そう、そこは映画フォレストガンプでガンプが走るのをやめた地点。ガンプは延々と走ってきて、このモニュメントバレーが見える場所で走るのをやめたのだ。だだっ広い荒野に一本の国道。その先にモニュメントバレーの巨岩。すごい眺めだ。グランドキャニオン側からモニュメントバレーに行くとここは通らないため、この景色は見ることがないだろうと思っていた。わざわざ連れて来てくれたノブさんに大感謝。

モニュメントバレーでは風が強く、砂埃にまみれるためノブさんはベルベル族のまき方でターバンを巻く。ノブさんもモロッコ旅行経験者だそうで、モロッコ話で
盛り上がってしまった。ナバホ族の居留地のため、ナバホ族のガイド、リチャードさんが案内してくれる。ジープに乗り換え出発。

荒野にそびえる岩々を縫って走る。風景は圧巻としか言いようがなく、見ていて楽しくて仕方がない。ノブさんは車を降りる要所要所で、面白い写真が撮れるようにアドバイスしてくれたり小道具を貸してくれたり。そして、大きなドーム状の岩のたもとでは、私たちに寝そべるように言い、インディアン・フルートでアメイジング・グレイスを聞かせてくれた。リチャードさんも2曲喉を披露。すばらしい体験だった。

昼食はモニュメントバレーが見えるレストランでナバホタコ。コーンの揚げパンにチリコンカンとたっぷりのキャベツ、トマト中心のサルサソースを乗せたもので、とてもおいしかった。

午後は宿へ向かって走る。レイクパウエルの街、ペイジに宿泊。小さなモーテルのような宿だが、広くてとても快適。ペイジの街はとても小さくてのどか。レストランも数えるほどしかなく、ノブさん行きつけの中華料理店で夕食。

翌朝の寄り道についてノブさんから打診が。徒歩の道のりがやや厳しく、起床も1時間ほど早める必要があるが、行ってみたいか?と言う。もちろん行くに決まってる。

2005.6.8 ホースシューベンド-アンテロープキャニオン-ザイオン国立公園


2005.6.6  レイクミード-ルート66-グランドキャニオン [雑感]

早朝に起床、大きなスーツケースはホテルに預け、小さなスーツケースだけで2泊3日プチ・グランドサークル周遊の旅に出発。ガイドはノブさん。プロのレゲエミュージシャンで、趣味のインディアンフルートを腰に挿しているラスタマン。このガイドさんが大当たりで、場所場所でBGMをかけてくれたり、寄り道したり撮影用小道具を用意していたりとサービス精神旺盛。しかもあまり拘束しないのが良い。

一緒にツアーに出るのは、たぶん同年代の仲良し姉妹二人組。とてもいい方々で、車中での会話も楽しい。ツアーバスで年配の方々に囲まれていくことも覚悟していたので同年代総勢5人とは、嬉しい限り。

まずはグランドキャニオンをめざすが、その前に途中のフーバーダム、レイクミードで寄り道。アリゾナ州に入ると、雰囲気が一気に荒野に。トイレ休憩もだんだんと情緒のある場所になってくる。ナバホ族の居留地に近づくため、土産物もだんだんネイティブアメリカンめいてくる。

延々と続く長い車道を走行中、蜃気楼にも遭遇。下位蜃気楼というもので、路面が濡れて見えるのだ。実際に近づくと路面はドライ。逃げ水とも言われる。空が地面に写っているのだそう。

「いったん降りて写真とりましょう!」と降りたところはただの線路。しかしなんともいい風情。ノブさんはポーズ指導もしつつ写真を撮ってくれる。

途中でルート66にも寄り道。BGMはもちろん名曲Route66。ルート66、セリグマンでアイスを食べる。このアイス屋のオヤジがとにかく面白い。ストローをくれといえば藁束を出すし、「コーンは古いのでもいいかい?」とぼろぼろのコーンを出してきたり。油断できない買い物。来客が名刺を壁にべたべた貼っているので、ここに行くときは是非名刺持参で。

その近くの土産やはアイス屋の先代のオヤジの弟がやっている店。ルート66にまつわるみやげ物の中に、どうもこの店のカウンターを写した絵葉書が。店主がにっこり笑っている。自分の写真を絵葉書にして自分の店で売っている訳だ。ちなみにこの店主はルート66保存会の会長だそう。

またしばらく走った後、ピザとパスタのファーストフード店で昼食をとり、グランドキャニオンへ。


車から降りた途端、広い空間と谷が見えてくる。要するに谷なんだが、ここまでスケールが大きいと壮観。コロラド川の侵食によって削られたのだというが、今見えるコロラド川ははるか下方で穏やかに流れているだけ。

まずはマーサポイントで景色を堪能し、ヤバパイポイントまで歩く。標高が高いため、寒く、空気が薄い。途中で柵のないところで写真を撮ったが、こうちゃんは
びびってあまり縁の方までは来てくれない。

ビジターセンターでグッズなどを見た後、谷へ降りるルートを少しだけ降りてみる。コンドル発見。降りるのは楽だが登るのはつらい。谷へ降りるハイキングを日帰りでしようとして過労死する人が続出しているらしい。脱水症状とか凍死とかじゃなくて、本当に疲労による死だそうな。必ずキャンプするようにとあちこちに注意書きが。

ふたたびマーサポイントで夕日を見る。うーん美しい。影の形が刻々と変化する。日中の谷は、基本的に茶色。それがオレンジから、紫色、グリーンと場所によって様々な色を見せる。太陽ってすごい。

宿はグランドキャニオンそばのグランドホテル。木を活かした内装がかわいらしい。夕食のレストランに行ったら、日本の巨大ツアーの方々もいらしていて少々困惑したが、こちらは5人だから奥の席に通してもらう。こうして毎食一緒に食事をしていると、だんだんみんな仲良くなってきていい感じ。

2005.6.7 グランドキャニオン-リトルコロラド-フォレストガンプ・ポイント-モニュメントバレー-レイクパウエル


とりあえず旅の間の日記など  2005.6.5 ラスベガス [雑感]

旅行メンバ:こうちゃん(夫)、私
JALPACK、陸路で行くプチ・グランドサークルとヨセミテ9日間
というツアー。

さて第1日目より。

14:00成田集合だったが、成田で昼食をとろうと午前中に出発。成田でチェックインも早々に済ませ、和光でとんかつを食べたりしてのんびり。セキュリティは厳しかったが、イミグレーションは空いてた。

飛行機では魅力的な映画がラインナップされていたが機内食以外の時間はほとんど寝ていた。

ベガスにつくと、ガイドが出迎えてくれホテルまで送ってくれる。やけに早口で落ち着かないガイドさん。ホテルでは別のガイドがチェックインしてくれるがこの人も異様に早口。しかも午前中だというのにホテルに交渉してチェックイン終了。客がどんどん到着するので、とにかく急いでさばかなければいけないらしい。

ホテルはモンテカルロ・リゾート&カジノ。ストリップ沿いのホテルの中で唯一カジノを通らなくても部屋にいけるホテルだそうで、比較的落ち着いた雰囲気。

ホテル内のfood coatで簡単にピザの昼食をとり、ダウンタウンへ。

ダウンタウンはホテルだらけのストリップとは違い、古くからあるカジノや商店が立ち並ぶ商店街。地元商工会議所が作ったネオンなどがあり、昔ながらのベガスの雰囲気が残っている。
正直言って、ストリップの何倍も面白い。
人が生活している臭いがある。建物も、最近たちました、というのっぺりしたおもちゃみたいなホテルではなくて現実感のあるしっかりしたものばかり。丁度クラシックカーのイベントをやっていて、沢山の車が並んでいた。カジノで1セントスロットなど少々楽しんだところで、眠気に勝てずホテルへ戻り、仮眠。

夕方、モンテカルロのバフェで夕食をとってから無料ショーを観にストリップへ繰り出す。

ネオンと人手のおかげで、昼間つまらないと感じたストリップも少し楽しく思える。やはりベガスは夜遊びの街。日中は暑すぎるためみんなあまり出歩かないのだ。

楽しみにしていたホテルTIの海賊ショーは強風のため中止。開始時刻ギリギリまで、開催できそうだからそのまま待ってろとアナウンスが流れていたのに...。しかたなくホテルに戻りがてらフォーラム・ショップスのショーを見に行く。が、こちらは開催場所を間違えて見られず。めげずにホテルミラージュの噴火ショーを見る。ちょっと楽しかった。最後はべラジオの噴水ショーで締め、と思っていたが、こちらも強風で中止。悔しいので記念写真だけ撮ってみたり。まぁ夜のストリップ散歩はそれなりに楽しめた。

ホテルに戻り、どうしてもルーレットをしたかったためカジノへ。ここのカジノのルーレットは掛け金が最低10ドルなので少々緊張する。が、ルーレットは勝てるギャンブルだ。基本的にテーブルゲームはディーラーとの勝負だが、他の客も同じテーブルについていて、ルーレットは一つなので、ディーラーと1対1の勝負にはならない。結局、出目を極端に偏らせたりということができないため、出目の傾向をつかんでうまくかければそこそこあたるのだ。
が、翌朝早いので10分ほどできりあげ。30ドル勝った。
こうちゃんはその間スロットを楽しんでいた

2005.6.6  レイクミード-ルート66-グランドキャニオン  


子供.... [雑感]

久しぶりの海外旅行なので、ちょっと興奮気味。数日連続して会社を休むこと自体2年ぶりなのだ。
そんな私をこうちゃん(夫)は子供みたいだと言って笑うが、行く前からわくわくしてた方がより楽しめてお得な体質なんじゃないだろうか?
いやそれは言い訳。子供みたいだってことは認めよう。


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疑問 [雑感]

JR西日本電車脱線事故。

報道を見ていて、気になっていたことがある。
なぜ運転暦たった11ヶ月で、その間に3度も訓戒処分を受けた運転士が、過密ダイヤの難しい地点、難しい時間の運転を行っていたのか?JRの運転士の采配方針などは到底知る由もないが、私の感覚では運転にも技術というものがあり、それが未熟だと思えれば秒単位でダイヤを管理しないと破綻してしまうようなクリティカルな場面には登用したくないと思う。

問題の路線の本数は15年前から比べて激増している。ライバルである阪急電車の本数の増加具合がゆるやかであるのに比べて、驚異的な伸び率だ。もちろん、ライバルに追いつけ追い越せ、そのための本数増加であることは間違いない。
しかし急成長というのは同時に無理も生む。
同じように多数の乗客が乗り降りする阪急宝塚駅とJR宝塚駅。阪急宝塚駅は2階建ての立派な駅舎だがJR宝塚駅は昔ながらのこじんまりとした姿だ。このあたりにもJRが急いで本数を増やした様子がみてとれる。

なぜ件の運転士がそのような難しいところを受け持っていたのか? 単純に、そうしないと回らない体勢だったのではないかと推察してみる。あくまで勝手な推察ではあるが。電車の本数を増やすことを検討し、それによる輸送可能な乗客数を割り出し、収益の増加を算出し....そんなことをしているとき、乗客は彼らにとって単なる数字でしか捉えられなくなっていたのではなかったか。運転士の数を勘定しているとき、運転士達もまた、単なる数字でしかなかったのではないか。
彼らとは一体誰なのか。それはわからない。

そして、これはJR西日本だけに限った話ではないと思う。交通機関を持った企業だけではない。いや、企業だけに限らない。どんな団体にも言えることではないのではないだろうか。
不特定多数の利用者を想定した何かを行っているとき、とくにその企業や団体が急成長している段階では、利用者達が数字でしかなくなるという事態は、いとも簡単に起こることなのではないだろうか。

現在マスコミでは、問題の運転士が経験した"日勤教育”の非道性にスポットがあたっている。ここにも、社員を"ルールを適用する対象"としか見ていない姿勢を垣間見てしまうのは私だけではないだろう。

人を人と思わなくなるのは簡単なこと。
そんなことがこの事故を引き起こしたとは言わない。そこまで単純な話ではないはずだ。しかし、人を人と思わないでいると、いつかまた誰かが悲しむことになるだろう。それが恐ろしい。

今回の事故は間違いなく人災である。しかし、その"人"って誰なのだろうか?


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事故 [雑感]

塚口あたりで起きた脱線事故。
通勤時にもニュースは漏れ聞こえてきたが、全容を知ったのは出社してから。会社でも話題になっていた。
念のため義父と義妹にメールしてみる。それぞれから、心配ないとの返事。よかった。
夜になって、友人も心配ないとメールしてくれた。

知人が巻き込まれていなかったことに安堵。そしてきっと、事故に巻き込まれてしまった人々やその周囲の人々と私たちの差はそう大きくないことに恐怖を覚える。
自分自身は事故に遭ったことはないが、私にも突然日常がひっくり返った経験がある。思い出しただけで吐き気がする、あの感覚。

電車に乗り合わせていたが無事だった方がTVのインタビューを受けていた。話している間中ずっと震えていた姿が印象深い。
亡くなられた方の冥福と、心身ともに傷を負った方の回復を祈る。


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花見2 [雑感]

こちらは友人と新宿御苑に行ったときのもの。


あれはいくらなんでも [雑感]

着ぐるみが怖い。子供のころから、今も見るだけで嫌な気持ちになるし、近づかれると足がすくむ。

今日は銀座に出かけたのだが、西銀座の前で苺販売のイベントをやっており、苺の着ぐるみが出ていた。もちろん私はいち早く察知して通りの反対側を歩いた。が、一般の皆様は気にするでもなく苺着ぐるみの前を普通に歩いていた。

すると、いきなりその着ぐるみがすばやい動きで通行人の流れに飛び込んだのだ。

かわいいつもりだったのだと思う。しかし、通行人からは「ぎゃっ!!」という声があがり、おびえて逃げ出す人続出であった。

着ぐるみを甘く見てはいけないのである。私のように着ぐるみ恐怖症を患っていない人にとっても、時に脅威となる恐ろしい存在だ。


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おばはんですよ [雑感]

父の古希の祝いがあり、実家の面々が集まって近所の居酒屋に。こうちゃん(夫)も一緒。

その席で同い年の従姉妹とひさし振りに会った。
「ちょっときいてよさとちゃん、おじさんたら、私のことおばさんて言うのよ」
と言うので、姉と異口同音に
「おばさんじゃん」
と答えてしまった。
彼女曰く、自分が28歳だと思っていればいつまでも28歳でいられるのだそう。(そんなワケあるかい)彼女は一所懸命そう力説するが、自分が28歳だと思い続けるのは御免被る話だ。

確かに美容の面で言えば、従姉妹の言うように28歳に見えたら一番良いだろう。今の年齢は、おばさんぽくない人がまだまだ沢山いる。しかし客観的に年を考えれば、十分おばさんであろう。おばさんと呼ばれて怒るおばさんというのは、かなりイタイ。

私は性格に少々子供じみたところを残しているからか、会社でいつもちょっと子ども扱いされてしまうところがある。今いる部署でも、遅くまで仕事をしていると、6つも年下の若造から、「satocoさん、大変だね、がんばってね、偉い偉い」と労われる始末。おじ様方は入社当時(10年前)の私のイメージから抜けられないそうで、未だに小娘扱い。仕事は十分年相応の働きをしていると自負しているので、いつまでも小娘扱いされ、それが査定にも影響するのは大いに不本意なため、少しでも年上に見えるようにいろいろと工夫している。個人的な感覚では、会社では45歳くらいまでは、若く見えていいことは何もないと思う。

おばさんと呼ばれて嬉しいわけではない。そのために若く見せようと心を砕く女性は多い。しかしそれはおばさんという言葉のイメージの悪さから来るもの。そういう人たちのまわりには格好いいおばさんはいないのだろうか?私は今まで憧れてしまうような素敵な年上の女性に何度か出会っている。たぶん、私はラッキーな例なのだ。自分が年をとることを否定するよりも、格好良く年をとりたいと願う方が前向きなことだから。


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